nanisore oishisou

プログラマ、ララ・ベル子さん改めArm4さんのゆるふわ奮闘記。

君に愛称は必要ない

ついに、私が初めて買ったMacを廃棄に出すことにしました。

処理能力が低すぎて使い物にならなかったのですが、どうしても捨てられませんでした。私にとってそのMacは物ではなく、友達であり宝物だったからです。

私が初めて買ったMaciMac G4

いわゆる大福ってやつです。

2か月アキバに通いつめて、オタク店員に頭ごなしに反対されまくった末に、頑なに言うことを聞かずにゲットした一品です。

見事に誰一人としてMacをパソコン初心者が買うことに賛成してくれませんでした。

お客である私にほとんど説教する勢いで購買欲を削りにきていました。

今から思うと、それだけ言いたいことを言える世の中だったってことですね。

中には、サングラス、ウィッグ、豹柄ブーツという出で立ちのヤバさから、本気で心配してくれていた人もいたかもしれません。

それか、可愛い子が来たので、ツンデレ感を出してみただけの人もいたかもしれません。

とにかく、それが私の初めてのマイコンピュータでした。

いわゆるお嬢様学校に通っていたので、公立中学でもパソコンの授業がある時代に、パソコンを習わず、お茶だのお花だの礼儀作法だのを習うという生活をしていました。

そのせいでアメリカに留学した際は、他のアジアの子から相当バカにされました。

「日本ではパソコンのタイピングも学校で教えてもらえないの?」と。

他のアジアの国ではパソコンのタイピングの授業は普通にあるし、小学生くらいになったら大体おうちで練習するとのことでした。

まあ、あの子たちはセレブなのでそれが普通なのかは知りませんが。

当時、世界を知らなかった私は日本は先進国だからテクノロジーも優れていると思い込んでいたので、それはそれはショックだったし、恥ずかしかったことは言うまでもありません。

というのもアメリカの宿題の殆どが、パソコンを使って文書作成をするかスプレッドシートを作るかして提出というのが基本なので、タイピングができないと宿題ができません。

だから、他のアジア人の子を呼び出して、私が話すことを文字に起こしてもらうという感じで、宿題をやらなければいけなかったんです。そら嫌味くらい言ってやりたくなる面倒くささです。

もちろん日本のほうが先進的だと思うこともたくさんありました。

日本人が普通にケータイ電話を使っている頃、アメリカ人はポケベルを使っていました。

正直、ダサくて不便だなと思いました。パソコンは誰でも持ってるのに、ケータイを持っていない不思議。きっと恐ろしく高かったんじゃないかと思います。

あとはCDプレーヤーを使っている人が多くて、その頃は日本ではMDが主流だったので、随分古臭いもの使っているなという印象でした。きっとパソコンに音楽を取り込んでCDにするのが主流だったんでしょう。

憧れて行ったはずのLAは東京よりも少し田舎っぽくて、アメリカ人は想像よりもスタイリッシュではありませんでした。

私が辟易としていたふるさと東京は、思ってたほどダサくもつまらなくもなかったんです。

そんなこんなで、私は宿題を自分でやるためにパソコンのクラスを取ることにしました。

みなさんご存知のとおり、私は非常に努力家なので、放課後もひたすらタイピングの練習をしました。今まで代わりにタイピングしてくれてたアジア人の子たちにチャットの相手を頼んで、毎晩宿題そっちのけでf**kとlolの言い合いを続けたところ、すぐに高速ブラインドタッチを身につけることができました。

ありがとう、みんな。

そして日本に帰ってきて、自分で働いたお金で一番に買いたかったのが自分のパソコンでした。

そのパソコンで映像作品を作りたいと思っていたんです。

お金を貯めて一人暮らしを始めたときから、テレビとベッドしかない部屋の真ん中にパソコンを置くと決めていました。

そんなときに、あのiMac G4と出会ったのです。殆ど一目惚れでした。

それに映像を作るならMacのほうがいいんじゃないかと幼い自分なりに考えていたんでしょう。

アキバの店員と押し問答を繰り広げてMacと「Mac OS X パーフェクトマスター」をうちに連れて帰ってくることができました。

辞書並みに分厚いその本の頭から、徹夜で全ての機能を試していきました。後ろのほうはターミナルコマンドの解説だったのですが、何の疑問も持たずに全て解説どおりやってみました。

それも全ては「初心者がMacを買っても使いこなせない」と力説してきたオタク店員を見返すためだったと思います。

そういった点では彼に感謝しています。あの言葉がなかったら、あんなに必死で本を読んだりしなかったかもしれません。

それからというもの、私はベッドでは殆ど寝ないで、仕事から帰ってくるとパソコンで映像作品を作ったり、絵を描いたり、文章を書いたり、ウーハーをつなげて音楽を聴いたり、自宅サーバを立ててみたり、ホームページを作ったり、掲示板を作ったり、今振り返ると本当にくだらなくて誰にも見せられないようなものですが、そうやって毎晩いろんな新しいことをして遊ぶようになりました。

パソコンがやりたいので、当時、付き合っていた彼氏とも別れたくらいです。

仕事も、もっとMacが使えそうな印刷屋に転職しました。なのに、与えられた端末がWindowsだったので、本当に嫌だったことを覚えています。まず、右クリックの存在が反吐が出るほど嫌でした。マカーあるあるです。

まるで、大好きな彼氏がいるのに、毎日見ず知らずのおじさんの相手をさせられてるような気分です。

そういった意味で、今は使い慣れたMacを使わせてもらえる職場で、本当にうれしいです。

そんなこんなあんなそんなで、時は流れ、今のMacは3代目です。

今の私は、あの頃の私よりずっとずっとコンピュータでいろんなことができるようになりました。でも、あの頃のような情熱を持ってコンピュータに向かうことは、もう二度とないと思います。

そんな日々を一緒に過ごしたMacとも、そろそろ別れを覚悟するべきときが来ました。

使われないまま置いておかれて埃をかぶる毎日は彼もきっと嫌でしょう。

今は変色して黄ばんだ体ですが、彼を見るたびに初めて箱を開いたときの記憶が鮮明に思い出されます。

真っ白な体に青い画面。

モニターと胴体をつなぐピカピカの首。

透き通るモニターの縁。

マウスもキーボードもスピーカーもウーハーも全部お気に入りでした。

バイバイ、私のMac

君には名前を付けなかったね。

今までありがとう。元気でね。